明石城の歴史と城主

明石城(あかしじょう)詳細解説

1. 概要

  • 所在地:兵庫県明石市明石公園内

  • 別名:明石城、明石御城

  • 城の種類:平山城(平地と低い山を利用した城)

  • 築城者:小笠原忠政

  • 築城年:1618年(元和4年)

  • 現存遺構:石垣、堀、門(大手門、巽櫓、坤櫓など)

明石城は、江戸時代初期に播磨国明石藩の藩庁として築かれた城で、現代では「明石公園」として市民に親しまれています。


2. 歴史的背景

  • 江戸時代初期、徳川家康の政策により諸藩の再編が行われていました。

  • 明石は兵庫県の重要な交通の要衝であり、瀬戸内海沿岸の防衛や物流拠点として戦略的価値が高かった。

  • 元々、この地には中世から小規模な館や砦が存在していましたが、本格的な城郭は江戸時代に整備されました。


3. 築城の経緯

  • 築城者:小笠原忠政(播磨明石藩初代藩主、徳川家康の家臣)

  • 築城時期:1618年

  • 目的

    • 明石藩の政庁・居城として

    • 交通要所である明石港の防衛

  • 特徴

    • 石垣と堀を巧みに組み合わせた防御構造

    • 平山城形式で、平地に築かれた城の利便性と低山の防御性を兼ね備える

    • 本丸・二の丸・三の丸を備え、周囲に櫓や門を配置


4. 明石城の構造

  • 本丸:藩主居住・政務の中心

  • 二の丸・三の丸:家臣の屋敷、藩の役所、兵士の詰所

    • 巽櫓(たつみやぐら)

    • 坤櫓(ひつじさるやぐら)
      ※いずれも現存

  • 大手門:城の正面入口として利用

  • :防御と水運のための二重堀構造


5. 歴代城主(明石藩)

明石城の城主は、江戸時代を通して幾度か交代しました。

城主 年代 備考
1代 小笠原忠政 1618年〜1621年 築城者、播磨明石藩初代藩主
2代 小笠原忠真 1621年〜1632年 忠政の子、城完成後の維持管理を実施
3代 松平忠明 1632年〜1645年 松平家、徳川譜代大名
4代 榊原忠次 1645年〜1670年 榊原家、改修や堀整備を実施
5代 土井利勝 1670年〜1703年 江戸幕府の老中職を務めた家系
6代以降 松平家、青山家など 1703年〜明治維新 明石藩の存続、幕末まで藩主交代あり

※城主交代の背景には、幕府の藩移封政策や家督相続の影響が大きい。


6. 明石城の廃城・近代化

  • 廃城時期:明治時代初期(1871年の廃藩置県後)

  • 理由

    • 廃藩置県により藩制が廃止され、城は行政施設として不要に

    • 明石城も官公庁の施設として再利用されることなく、公園整備の対象に

  • 現在の状況

    • 明石公園として整備され、市民の憩いの場

    • 本丸・二の丸跡、石垣、堀、櫓(巽・坤)が現存

    • 城跡周辺は桜の名所としても有名


7. 明石城の文化財・遺構

  • 巽櫓・坤櫓(国の重要文化財指定)

  • 石垣・堀跡

  • 大手門・表門跡

  • 城跡の整備により、城郭建築の典型的な構造が学べる史跡


8. 豆知識

  • 明石城は「平山城」の特徴をよく残す城として、教育や観光の場になっている。

  • 城跡には明石公園として桜並木や遊具施設、広場が整備され、地元住民に親しまれる。

  • 現存櫓は、江戸時代の建築技法を学ぶ貴重な資料。